働くということ
27歳で車椅子になり働けなくなって初めて働くと言う事の意味を真剣に考えさせられました。今思えば18歳で高校を卒業して27歳の11月まで当たり前のように仕事をしてたけれど、ぬるま湯に浸かっている気分で仕事をしていたような気がしてならない。もったいない。 一度でも自分は仕事 対して 必死のぱっち で向かい合った事があっただろうか?
小さい頃から家は貧乏だったので、両親の懸命に働く後姿は見てきたつもりだ。 両親は家族を養うために それこそ必死で働いていた。生きるために。それでも実感として働くという事がどういうことなのか自分はわかっていなかったようだ。働けなくなって初めて気が付いた。 いろんな人と出会ってわかった。
年を重ねて振り返ったとき、ある種の寄せては返す波のような 『心の虚しさ』 をうめることができる。防波堤になる。 <
んー、
あっ、なんかサザンの歌の歌詞みたくなったな?自分でも(@_@;) 偶然です。今、現役で働いている皆さんのなかで、 仕事で行き詰まったり、悩んだり、身を酷 使してヘトヘト、地獄だと思っている方、
今、その時間は、貴重です。やがて 『心の糧』 『生きる力』
と成る事がある。時がくる。
結果がでなくても、悪くても、どうであれ
なんとか、
なんとか、
乗り切って下さい。
なんだそれは? 何をほざいてんのん、悟ったつもりか? 戯言だ。何様やねん。 あんたに?言われても……と思うわな。 説得力無さすぎ。 一見不幸やん、なんの才能も能力もない、お金もない、ただ生きてるだけの人に言われても…しよーないやん。
それでも、言おう。
その、貴重な輝く時を 必死のぱっち で乗り切って下さい。
それにしても、どんだけ好きやねん!、その、必死のぱっちってなんやねん?!ですね!(笑) /p>