katatumuriのブログ

!カタツムリ そろそろ登れ 富士の山

願い 祈り

 詳しいことは書きません。抽象的で意味不明な記事になってしまっています。

申し訳ないです。 要するに愚痴ですね。すみません。

 

 

誰しも多かれ少なかれ、あの時、、、もっとああすればよかったと思うことがあります。それがとりかえしのつかない大事に至ることがあったりすると、自責の念にかられ一生拭うことができません。 あの時、あの瞬間、直感的に過ぎったあの想い「これからさき大丈夫やろか?もっと注意(忠告)したほうがええのとちゃうやろか?」という疑念を放置(そのまま)にした結果かもしれない不幸な悲しい出来事に呆然とし愕然とし、自分に怒り、自分がゆるせない。ゆるしてはいけない。

もっと話をしておけばよかった、何もしなかった、優しくできなかった薄情な自分自身に しこり のように離れない想いをもって生きていくのがせめてもの贖罪だと信じています。というか、そうするしかないというか。

 

あなたの責任じゃない。あなたにはどうすることもできない(できなかった)と言われても、たとえ 誰か 神様に「 赦されても 」 拭うことができない自分が在る限りどうすることもできないのです。

 

でも、年を時を重ねていくとね・・・こちこちに固まった しこり も少しは柔らかくなったような気がする。永遠に無くなることはないけれど。

きっと あの人の しこり も少しでも柔らかくなっていてほしい なっていってほしい と 願い 祈る しかない。

 

 

 しこり=罪 と 言える(含まれる)かもしれません。