katatumuriのブログ

!カタツムリ そろそろ登れ 富士の山

人間不信から諦めるまでいろいろあったわな・・・

人間不信になる理由は千差万別ですが、他人より身内からの方がキツイのか?いや、自分自身か? 

自分不信。

母は60歳まで必死で働いて、さあ!ゆっくり年金で自分の事を楽しもうと思っていた矢先、私が車椅子になってしまい自由を奪われました。さぞ、ショックだっただろう。怒っただろう。私以上になんで自分はこんな目に遭うんだ。私なんか産まなきゃ良かったと思ったと思う。そういう感情は当然至極。 自分は 「母親」だから愛情があって当然だなんてあまり強くは思わないほうなんです。(変わってる) 母で在る前に一人の人間で、何もかも放り投げだして 生きていきたい と、きっと葛藤の連続だったと思う。 それでも、私の介護をしてくれました。 ほんとうに感謝以外の言葉が見当たらない。 私は幸せものだ。

 

母は昔、私が赤ちゃんのとき、母のおかあさんに言われたそうです。この子(私の事)には苦労させられるわ。難儀な子やと、私は中学の時に聞かされて、なんでやねん!と憤然とした気分になったもんです。なんか悲しかったな。聞きたくなかった。 たぶん、このとき母は漠然と、産まなきゃ良かった と思ったんだろう。いや、ずーと思っていたのかも知れない。 そのまま口に出すのは憚れるので、母の母親の言葉を借りて思わず口に出たんだと勝手に心理分析しております。

母のせいで人間不信になったなんて思ってませんよ。その反対です。自分に一番欠けていた人間の愛情を知りました。

 

私は母によく言っていました。何度も、何回も、機会あるごとに 年金だけは大事にしいや!と絶対、人に貸したらあかんで!と。人間って、追い詰められると(特にお金に)思いもしない行動を取ったりするから。と、そんなことを話すたびに、

「あんたは ほんまに 嫌な 子やな」

と言われたもんです。 それでも、親戚にお金を貸したりして(これはしょうがないとして)母の年金手帳や書類を云々と言ってきた時は私の事を思い出して断ったわと聞いたときは、あー嫌の子で良かったと思ったもんです。母が人間不信にならなくてすんだわ。と・・・。人間不信は自分だけで十分。(笑)

 

その親戚にある日言われました。

OOちゃん、あんたは賢い子やね、お母さんはあんたがいてたら安心や。

・・・どの口で言うてんねん!と思ったけど、おばさんもいろいろ苦しんだ。今では落ち着いてるから もう、ええやん と思う。

 

私は決して、賢いわけではなく ただ、これ以上 嫌な子 人間不信 自分不信 になりたくないがために、人を真正面に信じられなく なってしまったんだ。

ずーと嫌な子を返上したい。と もがいてきたかも知れない。

この年になったら、ああ、もう どうでもええやん! と 諦め切る 

ことははできてはいないけれど諦めました。