katatumuriのブログ

!カタツムリ そろそろ登れ 富士の山

『 うさぎとまつこの往復書簡 』  電子書籍

中村うさぎ著 マツコ・デラックス著 

 

 

十代まではのほほんと幸福に生きてきてさ、三十代からジェットコースターみたいに息つく暇もない日々に翻弄されて、地獄も見たけど天国も見た。そう、買い物やらホストやらにハマってた時期、私の毎日はほぼ地獄だったけど、その地獄の最中に天にも昇る恍惚感があった事も確かなの。天国って、地獄と対極の場所にあると思ってたけど、違ったわ。天国は、地獄の真ん中にあったのよ!

 

 自分の人生に満足している!と言い切ったうさぎさん。

この当時(2009/06~(2009/11)は落ち着いていて、まるで砂を噛むような味気ない日常に呆然としているの。とおっしゃっています。

 

 

 

 

私の「ブランド狂い」「ホスト狂い」「美容整形狂い」は、前から言ってるように、いわゆる「本当の自分探し」という名の「自己実現欲求」および「承認欲求」のなれの果てよ。

 

承認欲求と言う言葉をはてなでもよくみかけます。

辞書で引くと

「他人から認められたいとする感情の総称」とありました。

 

ーーーーーーーーーー車椅子生活になるまでの自分はーーーーーーーー 

正直…自分はオカシイかったのだろう。なんかピンとこない。??なんだろうか?。承認欲求がなかった。いや、他人に認められたらそれはそれは嬉しく思うし大切なことかもしれないが。

自分で自分を認めているかも定かではないので他人から認められたいなんてあまりおもわなかったんですよね。

考えもしなかった。

 

そもそも、「自分を認める認めない」以前に、「自分とはなにか?」が問題だ。

まず、自己? 自他? 他者? の関係とか・・・?と車椅子になって初めて考えた。

車椅子にならなかったら考えもしなかったかもしれない。

 

答えは当然分からない。

 

分かった気になっては変化していくもんだということだけはわかった。。。?。

 

もし自分で自分を認められたら次は他者から認められたいと思うのでしょうか?ではその先は・・・??きりが無いような気がします。

 

それとも他者から認められないと自分を認められないということなんでしょうか?

先に他者ありきなんでしょうかね・・・承認欲求は?

 

 

エンドが無いのなら最初の「自分を認められたら」それで良し!十分じゃないのか!!

と思うけどなぁ。だめなのか?

 

また、おかしなこと書いて(言って)しまった気がする・・・^m^;

 

 承認欲求という言葉の意味は

自分探しや自己実現と引っ付けるとなんとなくわかりました。

 

 

この年になってこんなことをほざいてる自分は

どんな自己をつくって生きたいのか?を模索しながら生きて、いつか自分で自分を認められる日がくるのだろうか?――――もし認められたら、このわたしの世界はなにか違ってみえたり感じられたりするのだろうか?

 

 

おおいに楽しみだ。おほほ!*^-^*