『 結婚しません 』 著者:遥洋子
『 結婚しません。』 そんな頑なにならんでもええやん!?と、思わず突っ込みたくなる題名です。何故に言い切るのだろう?と思いつつ読み進めていくと、なるほどー。家父長制、ジェンダー問題、女性と労働、資本主義、性差別、等等、女性に男性に「普通のシアワセ」って一体、なんやねん!(帯にもある)
と叫びながら彼女が言い切るまでに到る心の葛藤や無力感、脱力感がすごくわかります。
本文から
恋人もできないからダメ。でも恋人できたって一緒に住まないと何もわかったことにならないからダメ。一緒に住んでも、結婚しなきゃ、何もわからないからダメ。結婚したって、子供産まなきゃ何もわからないからダメ。子供産んだって一人じゃダメ。次は?って聞かれる。女産んだら、男は?と聞かれる。男産んだら、次は女ね、
と言われる。産み続けたって、外で働いたことないからダメ。外で働き続けても、結婚もせず、母にもなってないからダメ。自立したシングルマザーになっても父がいないかダメ。
著者はだいたい私と同じ世代かな?わかりませんが。
古いしきたりの大家族のなかで育った彼女、小さい頃から嫁姑問題や男女同権問題(男兄弟)いろいろ見てきたのだろう。
タレント活動を頑張ってきてマスコミのなかで女性という立場はどうだったのか?
こんなこと今も世間的に言われるのかどうかはかわかりません、なんせ世捨て人みたいな生活(笑)している(いた)ので、確かに30年前ぐらいはありました。 女性の働く環境はちょっとはマシになっているんでしょうかね? 少なくても離婚した女性の立場や、世間の風当たり、偏見は少しはなくなったような気がする。バツ1なんていう言葉が言われる(流行る)ようになってからですかね?
本文から
誰かに肯定してもらおうとあがき続けたら、あっという間に一生が過ぎる。―――――――――自分だけが自分に言ってやることのできる、イエス。全員がノーと言っても、私が言う、イエス。――――「どう?こんなに一杯持ってて幸せよ」という量の肯定ではなく、何も他人に自慢できるものがなくても、自分が自分に肯定できる喜びもある。――――――――自分にイエスと言うために必要だったのがフェミニズムだったと思う。フェミニズムの誕生が自分の中にあった。
本当にあっとう間に過ぎます。辛いとき苦しいときは永遠に続くような時間でも。
来し方・・・
過ぎ去ってしまえば なんであんなことで、あんなに苦しんだんだろう? なんてクエスチョンが付くこともあるし、付くこともない果てしなく続くずーと尾を引く苦しみ 悲しみ 哀しみ 痛み もあるけれど(自分のことではないです、そんな苦しみのなかで生きている人が居るということ)。 自分は変わってないなんて思っても変わっている(いく)んですよね。 なぜならどんな苦しみも年を取ると時間が経つと変化する。その時もがき苦しんだ苦しみは 同じ量と質 ではなくなるから、と自分は思ってます。 信じたい 全ての人がそうであってほしいという 希望的願望ですが。
神様はそのために時間と老いる、そして 死 というのを残してくれたんだと・・・。
ちょっと横道にそれました。^^;
彼女、著者は今でも 結婚してないようです。 頑張ってますなぁ! きっと 意地を張ってるだけ、嫁のもらいてがないだけ! なんて言われながらね。
肩を張って風きって歩いてきた彼女・・・今も 自分のことを イエス と 言えているんだろうか?