katatumuriのブログ

!カタツムリ そろそろ登れ 富士の山

ああーーこれも(が)差別なのか

私が、あぁーーーこれが差別?されているのか?と漠然と感じた事。
27歳で入院している時、お見舞いに来てくれた友達との会話のなかでのこと、


友達A;リハビリが終わって退院したら、また遊びに行こ! 車あるし。
友達B;あ、私、悪いけど、事故にあ・・車にはよう乗せられへんし、一緒に・・・遊びに・・・。口ごもる。





友達が帰った後、考えました・・・・
事故と口ごもった後、何が言いたかったのかな?
たぶん、事故をするような人、事故に遭うような人、そんな 運の悪い人 とは関わりたくない。
自分に災難があったら嫌だ、運が悪くなったら嫌だと、言いたかった? そう思っているのか?



はぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ!! 人ってそんな考え方もするのか!とショックでした。
自分にはない思考です。


なんだか、とっても悲しく、悔しく、情けなく、虚しく、なりましたね。

そうなんや、これからは、
どうして車椅子になったんですか?の答えに、事故ですって素直に言わない方がええのかな?
とか、なんか言いづらくなりました。



 親子連れとすれ違ったとき、親が子供にボソッと

悪い事したらああなるよ・・・と。

ちょっと!聞こえてますがなあ!!はぁーーーため息。(心の中でね)


差別は あらゆる ところに 人のなかに(自分も含む)ある。

ころがっている。 あふれている。
 
それを知ったからには、つまずかないよう、ふみつけないよう ながされないよう こころがけよう そうおもう。





世の中には自分にはなんの非もない人が災難、事件、事故に遭っている人が少なからずいます。
きっと、被害者の家族の方は言い尽くしがたい思いをされているでしょう。
もしかして、加害者家族も違う意味で・・・
こんなに、悔しい、虚しい、訴えどころのない、おさめどころのない、癒される事もない、なんともいえない 苦しみ 言いようの無い 思い をしている人がいるんだと知りました。







仏教の国やからなしょーないなぁ。としか言えませんが。
私、過去世に悪い事をした覚えは一切ないんですけど、知る由もないので勘弁してください。(笑)
もし、あるんやったら、その 業、宿命、とやらを、受け入れるしかない。受け入れましょう。
若い頃はめちゃ抵抗して憤慨していました(笑)が、

私は、よほど悪い人間だったらしい。酷い事をしたんだろう。んでも地獄に落ちずにこの世に生まれてきたと言う事は良い人間・まともな人間、になれるチャンスがあるという事なんでしょうかね?良い人間ってなんやねん!という細かい事はさて置いといて。まあ、そう考えればチャンスを与えてくれてありがとう。と思っています。これ冗談に聞こえますがマジです。

時々、放棄したくなりますが。^^;


あ、私はどこの宗教にも属してません。








生きてる理由、生かされている理由、生きる価値、なんて あってもなくてもいい。


有ると見い出す人は、その使命を果たせばいい。
そんなもん自分にはないなと思う人も(私です)生きてはいけない理由にはならない。だろうと思ってる訳です。