「諦め切る」ということはできそうで難しい
やはり少しは触れておきます。
どうして車椅子生活に到ったのかを。
27歳の11月、会社の同僚らとちょっと早い忘年会をやろう!と言う事になったその帰り、たまたま家が近くだった同僚Oさんの車で送ってもらう途中に事故に遭いそのまま救急車で運ばれる。頚椎損傷(首.C6)で重症。二日後大きな病院へ転院、そして10日後手術。約三年間入院する。 頸隋・神経をやられたのでいろいろな後遺症が残りました。
- 肩(鎖骨)ぐらいから下は感覚が無い。
- 足はまったく動かせない。が痺れているので足がそこに在ることは分かる。
- 腕は上げることはできるが握力は0。無い。
- 手首は動かせる。これと腕が上がることはすごくラッキーなことでした。動くと動かないとでは生活するのに雲泥の差があります。
- 胸ぐらいまで痺れてます。指先も。
- 排便・排尿は自力ではできない。
- 体温調整ができないので汗がでない。
- 自律神経失調。交感神経と副交感神経。
- その他諸々。
49歳まで在宅。のんべんだらりと生活していました。
そして現在(52歳)は福祉施設(身体・身障)に入所して3年です。^-^
いろんな事がありましたわ。
同僚のOさんに送ってもらうとき、5秒ぐらい(結構、長い)悩みました。電車にするか送ってもらうか。 この瞬間に運命が決まりました!というか、自分で決めてしまいましたがな。^^;
もーーー!なんちゅうこっちゃ!笑うに笑われへん!(笑)←でも笑ってるよ!なんでやねん。
ということは、Oさんの運命も少し決めてしまった事になるんですよね?そして「送ったろか?」と誘ってくれた時点(瞬間)ではどうなるかわからない未来だったわけで・・・、ある意味、未来は変えられる。どうにでもなる。自分のその瞬間の選択次第であると言えなくもない。生きていると言う事は 瞬間 に自身の未来と関わるすべての人の 未来 を(選択・決定)していることになるのかな。
だから私は 今 を 生きる事の大事さと 人を大切にする大事さを 痛感 させられた。
今、自分自身の現状は何も変わらない、動かないと思うような状況でも 未来 はすでに変わっていく、変わっている。自分に関わるすべて(社会も個々の人間もその関係もそれぞれ瞬間に)が変化しているのだから。
あらゆるこに対して、選択する自由を狭められる、あるいは無くした 障害者である私は
ええーーーーい!もうなるようにしかならん。ポジティブもネガティブもへったくりもない! 生きるしかないんや! と 開き直る 自暴自棄 世捨て人風? ちゃらんぽらん 惰性的 ある意味、無責任・傲慢になる 諦めの境地 絶望を受け入れる のに 25年 費やしました。
少しずつだけど無理せずに「あきらめられてる」かな?と思える今日この頃。
明日はわからんけど・・・。--;
あ、障害者だから諦めるなんて駄目!負け犬!夢や希望や目標を持って人は生きなきゃ!そうして努力して成功してる障害者もいるよ!と多くの人は言います。そんな事はさて置いときます。私の性格上?あわんから。
ウダウダ長文になってしまった。それに一日に2記事。そんなに急いでどうする?ですね。(笑)
あぁーーーしんどかった!って読む方がしんどいね。
最後まで読んでくれてありがとうございます。