贈られた言葉
中学三年生の時、担任の先生が卒業するにあたってサイン帳に書いてくれたのが、
「かたつむり そろそろ登れ 富士の山」 だった。
クラスの全員に贈った言葉なのか、一人一人の個性に合わせて違う言葉だったのかは定かではないけれど、私にはこの小林一茶の句でした。
あれから、いろいろあって今では私の支えの言葉になってます。
私の場合の「富士の山」は 富士の山=夢・目標・目的・理想 ではありません。
富士の山=生きる。そのものです。
他人から見れば、かわいそうな、くだらない、なんもない人生、無価値と思われるかもしれない。
あなたは、何のために生きてるの?
生きてる意味はあるの?
生きている価値は?
あなたには夢はあるの?
人生の目標は?
自分が生きている証・実感は?
何が楽しくて生きてるの?
あなたは社会のために何か貢献してるの?
あなたは人のために何か役に立ってるの?
etc...
いちばんショックだったのは、そんなになって何が楽しくて生きていけるの?
運が悪い人とは近づきたくない。みたいな言葉ですかね。
人として人間として、もって(有って)あたりまえ、持たないものは生きるべからず、みたいな価値観。(すべてではないです、一部の人の価値観です。)
これらの価値観を
世間や周囲の無言の言葉・視線と共に嫌というほど浴びてきた。
自問自答も時間が有りすぎたせいか、腐るほどしてきた。
腐って、腐り切ると醗酵して自分なりの答えが出るもんなんですね。
今はそんな時間の浪費と過度の精神の疲労という無駄なことは無くなった。
あまり話した記憶はないのだけれど・・・。
そう言えば、クラスのいじめ?問題で「何か相談はないか?」みたいな事を聞かれたなぁ。気にかけてくれていたんですね。・・・。
先生、ほんとうにありがとうございました。